2008年4月のアレ
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2008年4月21日
児童ポルノに関する法律が強化されるという話がある。
アニメ、コミック、CGのような創作児童ポルノまで規制するという案が出ているらしいので、 ちょっと待てといいたい。 それって、要するにやっていることは中国が海外のインターネットを検閲しているのと同じだ。 一部の人が勝手に「都合が悪い」判断した内容を合法的に規制するために法律を整備する、 という単純な話だ。
と書いたら「中国の件とは根本的に違う」とか言い出す人がいると思うのだが、 ぜひ一体どこが違うのか納得できるように説明して欲しい。 すぐにそれが不可能であることが分かるはずだ。 先に書いておくが、例えば、犯罪が云々というのであれば全く論外である。 中国がインターネットを検閲しているのは、 国内の犯罪を防ぐという名目があるからだ。 犯罪を防ぐために規制するというのなら、中国と同じであることを立証しているようなもので、 墓穴を掘ることになりますから、 それを頭に入れて説明を考えて欲しい。
法的規制の発想に至る至高は単純なようだが、 あまりに短絡的すぎて、大きな問題を抱えている。 ポルノの単純所持を禁止する、というのはどういうことか。 ポルノを持っていても、 それだけで誰かに危害を与えている訳ではない。 実際に誰かを襲う方がよほど危ないと思うのだが、それはおいといて、 ではなぜ持つだけでアウトかというと、 まず、 そのポルノを作成する段階で違法行為が行われているのではないか、という推測が裏にあるからだ。 つまり、 間接的に別の違法行為を防ぐために、 ある種の合法的な行為を無理やり違法にしてしまおう、という発想である。
確かに、児童による性行為を撮影する場合には、 それ自体が犯罪である可能性は高い。 もちろん、それを合法にしろ主張している訳ではない。 違法に作られた作品を販売、頒布することが違法だという発想に関しても特に異議はない。 しかし、それは違法に作られたものを所持することを違法とすればよいだけの話である。 鍵をかける場所を間違ってはいけない。
もっと分かりやすくいえば、 飲酒運転を撲滅するために車の所持を禁止する、というのと同じ話だ。 そう書けばどんなに滅茶苦茶なロジックかよく分かると思うが、 実際はそういう手法は結構行われているのだ。
特に危険なのが、 ポルノを所持することが犯罪を助長するという主張である。 ポルノを見てむらむらとして犯罪に至る人間がいるだろう、という理論だ。 実際、映画を見て真似をしたとか、本を読んでやってみた、 というような犯罪はある。 そのようなケースがあることは、 事実として否定する余地は全くない。
しかし、その理論には非常に危険で、 重要な事実を欠落している。 確かにポルノを見て犯罪に走る人はいるのだが、 逆に、ポルノを見ることで犯罪に走らずに済む人もいるはずなのだ。
分かりやすくいえば、 ポルノを見てストレス発散させたから犯罪する所まではいかない、 というようなケースも考えられるのである。 例えば心理学では代償と呼ばれている行動がこれに該当する。 ポルノではないが、 確か、暴力的ゲームに関して同様の調査結果が出ていた。 暴力的ゲームは暴力的犯罪を助長するという意見があって、 規制しろという意見もある。 ところが、実際に調査したら、 むしろ、暴力的ゲームをプレイした人の犯罪率が低いという結果が出たというのだ。
これに理屈を付けるのは簡単だ。 暴力的ゲームで暴れまくった結果、 ストレスを発散してしまったので、 実際の世界で暴力行為に出る必要がなくなったのである。
むしゃくしゃしたときに割るための皿を売っているらしいが、 破壊的な行動でストレス発散できるというのは、 皆さんも経験があるだろうし、否定するまでもないだろう。 それがバーチャルな世界だったらリアルな世界に被害者を出さずに済む、 というのがIT革命なのだ。
話を戻すが、 ポルノが犯罪を助長しているか、という件。 過去何度かポルノの規制が強化されたことがあるが、 それによって犯罪数が減ったという調査結果はないはずである。 むしろ、最近の性犯罪は、ポルノが氾濫する前に比べて減っているという説がある位だ。 つまり、ポルノの規制は犯罪に対しては何も効果がないことが、 規制前後の犯罪件数の変化によって証明されているのである。
もう一つとても気になることがあるので書いておきたいのだが、 例えば子供の遊具による重傷事故が、最近よく報じられている。 あるいは昔から実は多いのだが報道されなかっただけかもしれないが。 例えばねじ穴に指を突っ込んで切断されたとか、 そういった系統の話である。
他には、学校のひさしから転落するという事故が最近報じられていた。 あるいは、マンションの外階段の手すりから転落するとか、 そういったニュースも記憶している。 これは要するに、高い所から落ちると死ぬ、ということが分からないのである。
2歳や3歳の幼児ならまだ分かる。 しかし、高所から転落しているのは小学生の高学年、 場合によっては中高生なのだ。 これは一体どういうことなのか。
本能的に危険を察知できる場合も、もちろんある。 真っ暗闇が怖いというのは、その典型的なものだ。 ただ、これも理屈を考えると、何があるか見えない、見えないから怖い、 というように説明することができる。 しかし、もっと確かそうな説明は、 暗い所を歩いていて怪我をしたとか、穴に落ちてしまったとか、 そういった本当に危ない経験を積み重ねた結果、というものだ。
高い所が怖いというのは、何度か落ちれば強化されるはずである。 しかし、そういった経験がないと、高い所の怖さというのは分かりにくい。
何が言いたいのかというと、 危ないものから遠ざけることが本当にためになるのか、 ということだ。 現実的には、危ないものから遠ざけるよりも、 それが危ないかどうかを自発的に判断し、 危険を回避できる、というのが理想的なのである。
サイトのフィルタリング規制が流行っているらしい。 流行というより、当局からIT業者側に規制を要求されているという感じなのだが、 このような規制は大いに疑問を感じる。 有害サイトというのは、 多少の経験があれば、 すぐに怪しいと分かるようなものが多い。 一瞬で「こりゃ詐欺だな」みたいな判断は可能である。 ただ、何もしらないとひっかかる、というのは確かにあるだろう。 サイトを作る側だって、それを目的で作っているのだから、当然だ。
出会い系サイトの問題だったそうだ。 知らない人と会いたいという冒険心は、 昔の人だって持っていたのだ。 メールやインターネットのない時代にはどうしたかというと、 いろいろな方法があった。 ポピュラーな所でいうと、文通である。 雑誌に文通コーナーというのがあって(今もあるのかもしれないが)、 住所と趣味とか書いておけば、手紙を送って知り合いになれる、という仕組みだ。
今の感覚で考えると、 住所をそういった所に公開するというのは、かなり無謀というか、 危険すぎるような気がしないでもないが。 実際、そういったコーナーを使って、 何人か文通した経験はあるのだが、 特に何もなかったと思う。
もちろん、 あからさまに危ないな、 というような相手は編集部が意図的に除去して、 雑誌のコーナーには掲載されなかったのだろう。
2008年4月16日
歴史は繰り返すとよく言われるが、 これは人間の行動パターンが限られているからである。
なぜ人間の行動パターンが限られているかというと、 非常に単純な原理で動いているからだ。 例えば、二者択一の場合に、より快適なものを選択する、のようなルール。
2008年4月15日
ポータブルHDD を振るとカラカラと音がするようになった。
今年は毎日ブログを書いていたのだが、 うっかりというか忙しくてかけなかった。 ええもちろん Oracle 10g のせいではないですとも。
2008年4月11日
xml を Digester に食わせるときに、 servlet 内部で一旦全部文字列にしてメモリに展開し、 それから処理していたのだが、 巨大な XML を読み取る必要があるというので、 ファイルに一旦保存してから、 それを Reader で処理するように変更した。
方針としては間違っていないと思うのだが、 全く処理できなくなった。 ファイルの先頭に BOF が付いていたからである。 今までは最初の行の先頭が BOF の時に削り取ってから Digester に渡していたのだ。
さてどうしたものか。