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フィンローダのあっぱれご意見番 第168回「比べるということ (1)」

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あーびっくりした、というか、 先月の記事をうっかり上書きしてしまったので消滅してしまうという珍事件が。 この原稿の書きかけバージョンが外に出ていた!

って本人が気づかなかった位だから、 他の人どうだか、みたいな。 ということで、ちゃんと書き直しているわけだ。 ちなみに、その消滅した情報をどうやって復元したかというと、 google 偉い。 ちゃんとキャッシュに残っていたのである。 実はそんなに慌てなくても、 こちらのシステムの途中成果物に5月の HTML 版の原稿が残っていた。 オリジナルの原稿は XML だか、 HTML から XML というのはそれほど大変な作業をしなくてもコンバートできる。

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最近流行している…というよりは、 もう定着しているような気がするのだが、 「オンリーワン」という言葉がある。 ナンバーワンよりオンリーワン、 という考え方は別に目新しいものではない。 特に若者に支持されているのだそうだ。 定着したのは、 SMAP のヒット曲の影響かもしれない。

いろいろ世評系の本とか、 若者の心理とはどんなだ…、 みたいなことが書いてある本を最近読んでみたのだが、 それと現実に若者たちを見てどうだという感想と交えると、 どうも妙だなと思うことがある。

私が世間一般を語るには、 サンプルが足りないかもしれない、 というか、まず偏っていることは殆ど明白だし、 かなり偏見が入っていることをお許しいただきたいが、 自分なりにこの種の本をまとめると、趣旨はこうだ。 要するに、 最近の若者はナンバーワンよりオンリーワン志向が強い。 これは幼少時からの「順位をつけない」教育に影響しているのではないか。 その結果、自分がオンリーワンであれという目標を持った若者が増え、 ナンバーワンになろうというモチベーションが低下している。

まあそんな感じ。 順位を付けない教育というのは表現が下手だったかもしれないが、 例えばかけっこで1番は誰、とかいうのではなくて、 ゴールしたらok、みたいなのをイメージして欲しい。 成績を順に張り出す相対評価ではなく、 「よくできました」「がんばりましょう」のような絶対評価をして、 クラス全員「よくできました」ということもある、というような話をいいたいわけ。

で、話を戻すと、 ちょっとひっかかるというか、 かなり気になることがある。 その種の本を見ると、なぜオンリーワンなのかというところに関して、 今の若者もそうだが、 その本を書いている人たちも、 ナンバーワンよりオンリーワンの方が簡単に達成できると思い込んでいるような気がしてくるのだ。

私の経験は偏っていると書いたが、 ネット生活に絞ってみても、 20年にも達しないという、 経験乏しいか豊かか謎ではあるが、 世界の1%も見ていない、というような体験しかないはずなのである。 それにしても、 ナンバーワンになるよりは、 オンリーワンになる方が圧倒的に難しいというのが率直な感想なのだ。

なぜか。 それはネットを見ると明白なのである。 今更説明しなくても、誰にでも分かりそうな気もするが、 ちょっと話を逸らさせていただくと、 意外とこの「誰にでも分かる」というのが分からないものだというのは、 裸の王様の話を持ち出すまでもなく、いわゆる常識でもある。 言われてみれば確かに聴こえる、空耳アワーではないが、 言われてみないと、結構分からないことは多いのだ。

ナンバーワンよりオンリーワンの方が簡単じゃないか、 という人の論理は想像できる。 ナンバーワンは世界に一人しかいない。 だから残りの人はナンバーワンになれない。 オンリーワンというのは、何か自分だけのものを持っていればなれる。 誰でもなれる可能性がある。 だから簡単。 みたいな?

実際はもっと複雑な思考過程があるのかもしれないが、 ほら、こうやって書いてみたら「あれっ」と思った人も結構いるのではないだろうか。 そう、 ナンバーワンというのは、必ず世界に1人いるのだ。 いや、それに参加する人が誰もいなければダメですけど、 まあでも、何人か集まれば、比較して評価することが可能であるかぎり、 必ずナンバーワンというのは存在するはずである。

ではオンリーワンはどうなの? ネットで十数年見てきてよく思うことがある。 何か書く。 反応がある。 いや、無反応ってこともありますけど、 何か反応があったとしましょう。 これがオンリーワンじゃなくて、 オンリーワンパターンやんけ、 みたいな経験は一度や二度じゃないのだ。 それこそ何百回、もしかするともっと何度も飽きるほど体験してきた事実だ。

そう、それが現実なのである。 ナンバーワンは2人以上の人間が集まれば、必ず1人いる。 あー、同点首位ですか、まあそういうややこしいことはあるのかもしれないが、 一応金メダルは誰かもらえるということにしておこう。

しかし、オンリーワンの場合はそれすら保証されないのだ。 もし同じような人が他にもいたら、それはオンリーワンではないからである。 そして、 同じような人が多数いるゆえに、 「オンリーワン」となる人が一人もいない、ということの方が圧倒的に多いような気がするのである。

逆に考えてみればもっと分かりやすい。、 論理的に考えれば、 「オンリーワンであればナンバーワンである」という命題は真であるはずだ。 一人しかいないのだから、即ちその縛りの世界の中ではナンバーワンなのである。 したがって、オンリーワンよりはナンバーワンの人の方が世の中には多いはずだ。

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没個性などという言葉が現れて久しいはずだが、 ネットというのは、 急激な汎化という副作用を持っている。 もし何かに対して全部自分だけの力で考えなければならないとしたら、 そこに個性が出てくる可能性はまだある。

  

ネットでゲームの必勝パターンが公開されたとしよう。 これは急激にネット世界に広まって周知の事実となり、 それを見て真似をして、 そのパターンでクリアする人が多くなる。 ここで注目したいのが、 一度上った山からはなかなか下りることができない、という法則だ。 正確には何というのか知らないが。

 

※ Qwerty 配列に慣れた人は、 Dvorak 配列の方が楽に速く入力できることを認めたとしても、 その上でなお、配列を移行しようとは普通考えないものだ。

昔、 STAR WARS という ATARI のアーケードゲームがあった。 ベクタースキャンの画面は、 今見るとちゃちな感じがするかもしれないが、 多分、今でも十分通用するようなゲーム内容である。 その後、 ATARI はちゃんと面をペイントしたI, Robotというゲームを発表しているが、 私はそれよりも STAR WARS の方が好きだった。

 

I, Robot。 アイ・ロボットという映画があるが、 それとは別のシナリオのゲーム。

このゲームは熟練するとエンドレスになれる。 つまり、座っている限り永遠にプレイすることが可能だ。 もっとも、トイレに行く余裕はないから、 そのあたりでゲームオーバーになるはずだが。

エンドレスというのは、つまり、必勝パターンがあるのだ。 このパターンが、私がプレイするパターンは他の人とはちょっと違っていた。 客観的にみれば、 ちょっと私のやり方は回りくどいというか、 リスクの高いややこしい手順になっていたと思う。 誤解のないように書かせていただくが、 当時のゲーセンというのは既にゲーマーの戦いの場になりつつあって、 上手い人のプレイを横でずっと見ている、 というのは日常茶飯事でもあった。 自分でプレイの手順を全て考える、というのはむしろ稀だし、 私だってそうだ。 STAR WARS のクリア手順を全部自力で考えたというつもりはない。 ただ、その最終型に至ったときに、 ちょっと他の人が真似しないようなオリジナルが入ってしまった、 というだけのことなのである。

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順序をつけるためには比較しなければならない。 Java には Comparable という interface がある。 この interface は、compareTo(Object o) を実装するというだけのものだが、 自分で作ったクラスを順序付けしたい場合は、 何かこのあたりの工夫が必要になることが多い。 整数値のようなものは比較のロジックも何もないが、 データ型が少し複雑になると、 特殊な処理が欲しくなることが結構あるのだ。

典型的なのは、 文字列の比較である。 Java の String クラスには、 compareToIgnoreCase(String str) というメソッドがある。 大文字、小文字を区別せずに比較するのである。 このメソッドは実際重宝 クラスを比較する場合は、 なかなか難しいことになったりする。 例えば、期間というのを考えてみよう。

(つづく)

  

(2006-05-18 Web に公開)
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