フィンローダのあっぱれご意見番 第175回「自動販売機がなくなったら缶ジュースを買う人はいなくなるか」
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温暖化対策が大流行中である。 CO2を減らせば気温が下がるという根拠のない宗教に踊っている人達を責めるつもりはない。 こういうイベントに乗っかるのは結構楽しいものだ。 ただ、それが科学だと思い込んで行動するのは、 滑稽というだけでは済まない何か恐ろしいものを感じることもある。 例えば誰かが集団催眠をかけているのではないか、みたいな。 § 朝日新聞の2008年7月28日付の社説、 「身近な省エネ―便利を少し我慢しよう」を読んでちょっと書いてみる。 どういう身近な話かというと、 コンビニと自動販売機がターゲットだ。 ただ、そもそもの大前提がおかしい。 地球の温暖化を食い止めるため、電力の消費を身近なところから減らそうという考えからだ。 地球温暖化の原因が何であるかは、 今の科学では結論が出ていなかったと思うのだが、 さらに、コンビニ業界の話。 たとえ16時間営業に短縮しても、日本全体のCO2排出量が1万分の1だけ減るにすぎないという。 だから、CO2の排出が温暖化と関係あるという結論は、 まだ科学的に検証できていないはずなのだが、 何で庶民って思い込みで動くのかな。 まあいいや、好きにすればいいと思う。 なぜなら、エネルギー節約という行動は温暖化がどうあれ、間違ってはいないからだ。 行動する内容が同じなら、理由はどうでもいいじゃないか。 ところで、 自販機は全国に400万台以上もあり、4人家族で190万世帯に相当する電力を使っている計算になる。 何かのトリックのつもりだろうか。 具体的な数字が一切出てこない。 例えば、全消費電力の何%程度なのだろうか? もしかして、80%とか? いや、そんなに多くないなだろうな、 だとすると、想像だが、0.000008%とか? 何なとなく、そんな気がしてきたな。 いや、単に勘ですよ、調べた訳ではない。 省エネ努力を重ね、自販機全体の消費電力を10年間で24%減らしたと自販機業界はいうが、 それでも大きな使用量であることには違いない。 いやそれ違うだろ。 日本には約5千万の世帯があるはずだ。 190万世帯というのは、ざっと計算してその4%程度だ。 もちろん僅かな電力を190万倍したら、 それなりの大きな値になるに決まっているが、 他に比べたら大した使用量ではない。 誤差の範囲内だろう。 だいたい何で世帯数とか家族とかの話が出てくるのるが分からない。 日本では家庭(民生)で消費している電力は、全電力消費量の1/4程度である。 私見としては意外と多いですけどね。 残りの3/4を何とかしようよ、という話が先だとまでは言わない。 どっちが先だなんて悠長なことを言わず、 できるところからやるのはいいことだから。 この記事、 肝心なことを書いてくれないので 自販機がどれだけ電力食っているのか分からないのだ。 この種の記事で具体的な数字を出さない理由は明白である。 その数字を出すと説得力がなくなるからだ。 つまり、それだけでも大したことがないことが想像できる。 ちなみに、缶ジュース等の自販機、 大雑把にいって1台 500W 程度らしい。 PS3が200W弱でしたっけ。 まあそれはおいといて、 炎天下で飲み物を冷やすのには電気をたくさん使う というのが本当なら、冷やさなければいいのではないか? そういう省エネの方法もあるはずだ。 もちろん、冷えた自販機と冷えない自販機(または暖かくない自販機)は、 売れ行きが違うだろう。 そこで、例えば冷やさない自販機は10円安い、ということになったらどうだろうか? 私の生活圏内にはまだ100円の自販機がある。 自販機で150円で売られているペットボトルのお茶は、 コンビニに行けば100円で売っている。 てな感じだから、 10円というのがどの程度の差になるのかよく分からないのだが、 これだけ物価高が家計を圧迫してくると、 意外とイケそうな気もする。 もっとも、私の場合はそういうの買う余裕もないから、 もっぱら水だったりするけど。 ブリタでろ過した水。 これ結局安上がりだ。 § 自販機撤廃主義者のロジックには大きなトリックがある。 自販機がこの世から消滅したら、 缶ジュースを飲む人も存在しなくなるのだろうか? まあそれなら仕方ない。 でも、多分ならないのである。 つまり、自販機がなくなっても、 缶ジュースを買う人がいなくなるのではない。 別のところで買うはずだ。 ということは、 売り場が自販機からどこか別の場所に移動するだけのことなのである。 極めて単純に熱力学的問題を考えてみよう。 今まで自動販売機で売っていた缶ジュースを、 例えばコンビニで売るとする。 今までよりも余計に缶ジュースを置くとしたら、 それを冷却するためには、今までよりも多くのエネルギーを必要とする。 もし冷やすために必要な1本あたりエネルギーが同じだとすれば、 自動販売機が殲滅できたとしても、 冷やす対象の缶ジュースの数が減らなければ、 冷やすために使われる電力も減らないはずだ。 つまり、 電力の節約にはならないのである。 もちろん、実際は一箇所に飲料を集めることで、 かなりのエネルギー節約を見込めるかもしれない。 逆に、近くに自販機がないためにスーパーから買ってきた缶飲料を持ち帰るうちに温まって、 それをさらに冷蔵庫に入れて冷やす…というような場合もあるだろう。 いろいろ考えなければならないことはあるのだ。 いずれにしても、 自販機がなくなったらその分エネルギーが節約できる、 というような発想は安易すぎるということを指摘しておきたい。 さて、本題行こうか。 そう思いながら夜の街を歩けば、省エネにつなげられそうなものが次々と目に飛び込んでくる。 大音響が響き渡るゲームセンターやパチンコ店、 やけに明るい歓楽街のネオン、24時間営業のレストランや飲食店……。 実は、物凄く省エネできて、 さらに省資源もできるという素晴らしいアイデアがある。 ぜひ前向きに検討して欲しい。 つまり、 新聞廃止である。 大量の新聞紙、どう見ても資源の無駄でしょう。 ゴミになって燃やせば大量の二酸化炭素を排出する。 回収して再利用って手はあるけど、 もう面倒だから書かないけど、そこにもトリックがある。 温暖化…は関係あるかどうか分からないのでしたっけ、これは失礼。 さらに、配達のための店舗も閉鎖できるから空調とかいらなくなるし、 配送のトラックも不要になる。 ガソリンだって節約できてしまうのだ。 意外と効果があるのではないだろうか。 もちろん、ニュース止めろというのではない。 インターネット配信をメインにしようというのだ。 もちろん、ケータイもアリだ。 テレビが地デジに移行したら、データ放送というのはもっと普及するかもしれない。 どうしても紙で届けないと困るというような地域は、 今の日本には殆どないのではないか。 電話が通じるところならインターネットが使えるからだ。 それに、どうしてもそういう地域があるというのなら、 そこだけ紙で配ればいいのだ。 PDF配信で必要な人だけプリントアウト、というのもいいのではないか。 例えば図書館とか喫茶店とか、紙で置いてないと困るというのなら、 実際、私はもう10年ほど新聞は取っていないが、 あまり不便を感じたことはない。 たまに何かを新聞紙でくるみたい時に猛烈に困るのだが、その程度だ。 どうですか、便利を本当にほんの少しだけ我慢するだけで実現可能な話だと思うが。 紙の新聞廃止というアイデアは。 |
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