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フィンローダのあっぱれご意見番 第87回「誤り訂正社会」

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何を今ごろと言われそうだが、 やっとISDN回線を自宅から使えるようになった。 最近はアナログモデムでも結構いい速度が出るので、 工事費もかかるし、まあISDNにすることもないか、と思っていたのだが、 引っ越しのついでにアナログ回線から契約変更することにしたのである。 こうすれば工事費が1回分で済むのだ。

ISDNルーターも、最近はお手頃な価格になった。 そこで、TAではなくいきなりISDNルーターを使うことにした。 いきなりというのは少しワケがある。 何台かPCを持っているのに、実は今までLANを使っていなかったのだ。 だから、データの転送もMOやSCSIドライブ経由という面倒な状況だったのである。 いつまでもそれでは面白くないし、HUBやNICもかなり安価になったから、 そろそろLANでもやってみようか、と思ったのである。

ルーターはMN128-SOHO-SL11という機種を選んだ。 実売価格は4万円超という程度だ。 このルーターは10base-Tのポートを4個持っているので、 デスクトップとVAIO NoteとTP535を接続する程度なら、ハブを買わなくても済む。 とりあえず今のところ割とうまく行っているようだ。

ところで、ISDNといえば、 面倒な書類を書かされたり、工事の時に検査しにきたり、 とにかくややこしい手続きがてんこもり、という先入観があった。 ニフティサーブやWWWを見ても、 ISDN導入の大騒ぎだとかその顛末、 ドラマチックなレポートがいくらでもある。 凄く大変なイメージがあったのだ。 実際はどうだったかというと、大雑把にいって、 NTTに電話して「ISDNにしたいんですけど」と言ったら「はい」で済んだという感じだ。 難しい所がどこにもない。 書類の1枚どころか1文字も書いていない。 当日の立ち入り検査もない。 開通する日は外出していたので、後で留守電を聞いたら「回線、今繋がりました」と入っていた。 おちゃめな電話だ。 簡単すぎて、本当にこんなことでいいのだろうか、 もしかして、 と、逆に心配になった。 後から何か書類でも送って来るのかもしれないが。 とりあえず現に使えるということで、結果オーライである。

ルーターの設定は? プロバイダの電話番号とIDとパスワードを設定しただけである。 メニューには「クイック設定」と出てくるが、本当に簡単。 Windows 98の「ダイヤルアップ ネットワーク」を設定するのと同じ程度だった。 もっとも、「ダイヤルアップ ネットワーク」の設定が難しいぞ、という人には、 この設定も難しいのかもしれない。 要するにプロバイダの電話番号とIDとパスワードを指定して、 自動接続を「しない」に設定するだけである。 このままだとちょっと問題がある。 自動回線断のタイムアウトのデフォルトが 150秒に設定されているのだ。 ちょっとうっかりしたら回線が切れてしまうことがある。 ネットサーフィンしている時ならそれでも構わないのだが、 ニフティサーブでchatしている時に、 無言の時間が150秒続いて切れてしまうのが困った。 もっとも、150秒も誰も何もしない、 という状況は稀なので、とりあえずデフォルトのままで使っている。

さて、これでWeb pageの更新も楽々だ。 と言いたいところだが、 実際、ページ更新の最大の障壁は、 更新するネタがない、ということに尽きるものである。 道具があっても素材がないと何もできないわけだ。

§

  

いくら何でも既に話が終わっていると思うのだが、 この原稿を書いている頃は、 東芝のビデオデッキのサポートの話題で、 Webが尋常でない盛りあがり方をしていた。 多分、皆さんがこれを読んでいる頃には解決していると思うので、 その内容については今回は特に触れないで、抽象論を考えてみたい。

 

※ 東芝ビデオ問題。 クレーマーという言葉が流行した。

昔、パソコン通信という双方向コミュニケーションのメディアが世の中に登場した時、 メーカーはそれに対して何を考えたか。 例えば宣伝媒体としてどうか。効果がないとは言わないが、 パソコン通信という場はマスメディアに比べれば利用者が少なくて旨味がない。 では、ユーザーのニーズを調査するためのシステムとして使えないか。 ユーザーの声を直接得るようなメディアは、電話、葉書など、 昔からあるものも健在だし、 家庭にもかなり普及したFAXも捨て難い。

ところが、パソコン通信という場は、 一個人の意見が大衆に直接出て行くという点で画期的だったのだ。 ユーザーの生の感想が、他の人に直接伝わるのである。 汚い話だが、TVや雑誌のようなマスコミだと、圧力をかけて情報を封じ込めることができる。 できるんですか? ある雑誌で、 あるソフトに対して批判的なベンチマークテストの記事を書いたら、 そのメーカーから広告をひっこめると言われたので、 慌てて次回に甘い評価の記事を…というような都市伝説は、いくらでもあるものだ。 スポンサーを下りるというのは効果的な手なのだ。 大企業なら、 最初からマスコミにパイプを作るということもあるかもしれない。 という曖昧な表現で勘弁していただければこれ幸い。

ところが、個人の意見というのは、そう簡単には封じ込めることができないものだ。 しかも、パソコン通信というのは即時性があるから、 書かれてしまったらある意味でオシマイである。 よほど即座に封じ込めないと、噂の伝達する速度は結構早い。 表から消えた情報を、メールで裏から教えてもらったりすることもある。 一介の個人の恐さは、 スポンサーや広告主とは直接の関係がないから、 世間のしがらみとは無関係に思ったことが書けるという所にある。 雑誌には書きたくても書けない、というようなことは実際によくあるものだ。 パソコン通信はその壁を取り払う効果を持っていたし、もちろんWWWも同様である。

  

そこで、パソコン通信という新しい情報ルートが現れると、 メーカーはただちにユーザーの声をどのようにコントロールするかを考えた。 あるいは、コントロールできないということに気付いた。 アングラのコミュニケーションの全てを抑圧するのは現実的に不可能なのである。

 

※ 数名や数十名の相手なら、 サービス提供側に圧力をかけて抹殺してしまうことも可能だろう。 だが、批判的な意見を書く人が数万人、数十万人いたら…。

とにかく、メーカーはパソコン通信というメディアの影響を無視できなかった。 「パソコン通信でその回答を紹介していいですか?」と言ったら、 途端に電話応対の人の態度が変わった、という伝説がある位だ。

今の社会では、パソコン通信やWebで批判的な内容を書かれる、 という所までは前提にするしかない。 それをデメリットと捉えず、 むしろ前向き思考へ発展させるしかない。 つまり、早い話が、いい噂だって広まるのである。 また、仮に製品に問題があって、 それがネットで指摘されたにせよ、その後の応対が誠意あるもので、 傍観者に良い印象を与えるものであれば、結果オーライということになるかもしれない。 大衆というのは意外と合理的なものである。 批判が不条理なものなら、筋の通った説明をすれば理解してもらえるものだ。 批判が当たっているなら? いいご意見を頂いたのである。 ありがたいことだ。大いに今後の参考にすべきだ。

  

Webに書かれてしまったら多数の目に晒されることは避けられない。 これはある意味では健全である。 ちょっとこっちに来い、という感じで隠れて話を付けてしまう、 ということが難しくなるからだ。 今まで裏で処理できたことが、できなくなるわけだ。 ただ、意外なことに、多くの人が見ることが可能になればなるほど、 実際に見る人は少なくなってしまうことがある。 見る人も多いが、Web pageも多すぎるのである。 その中からどれかを選択する確率というのは恐ろしく小さい。 相対的には、一人一人の声は目立たなくなる。 ただし、WWWはリンクという手法で、その壁を乗り越えることができる。 面白いページはあちこちからリンクされることで爆発的に情報が広まるのである。

 

※ ブログにはトラックバックという手法が使われる。 これは自分のサイトをリンクしてもらう、あるいは自分からリンクさせる、 というものだ。 この場合、今回書いたような効果が得られないことは皆さんご覧の通りだ。 リンクから客観的な価値が発生するためには、 第三者がそれを生成するという方向性が重要なのである。

§

FPROGORGで話題になったので紹介する。 main関数でreturn 0;とするのは正しいのか、という質問である。 JIS Cでは、exit関数のふるまいを、

引数が0又はEXIT_SUCCESSの場合には成功終了状態を処理系定義の形式で返す

と規定している(7.10.4.3)。 さらに、main関数からreturnした時の戻り値は、exit関数をその値で呼出した場合と等価だ(5.1.2.2.3)。 ということは、合わせ技一本で、return 0;は成功終了状態を意味する戻り方として正しいことになる。

これがなぜ話題になったかというと、ANSIに準拠したプログラムを書くのなら、 return 0; としなければならない、という主張があったというからだ。 そんな主張があるのだろうか、 というと、私が現在RIMNETで公開しているページ (http://www.st.rim.or.jp/~phinloda/cqa/cqa6.html#Q7)に、次のような内容がある。

Q 【return 0;】

main の最後に return 0; という文があった。 return EXIT_SUCCESS; とするべきではないか。



仕様では、0または EXIT_SUCCESS という値が成功終了を意味することになっています。 従って、0でも全く問題ありません。 呼び出した処理系に複数の状態を戻したいときには、 プログラマーが0以外 の特別な値を意図的に使うこともあります。

1996-03-12訂正

ここで気になるのが、1996-03-12訂正、という行である。 一体訂正する前には何がかいてあって、 どこをどう訂正したのだろうか? もしかすると、EXIT_SUCCESSとするべきだ、 と書いていたのではないか。だとしたら、ANSIとしてはEXIT_SUCCESSが正しい、 という間違った噂を広めるのに荷担した犯人が意外と身近な所にいることになる。 って俺やんけ。

雑誌に誤記があるというのは情けないが仕方ない。 それよりも、ミスを訂正する情報をすばやく広範囲に伝える、そのための土台はある。 つまり、WWWだ。しかし、どうやって使うかが問題である。

  

(C MAGAZINE 1999年9月号掲載)
内容は雑誌に掲載されたものと異なることがあります。

修正情報:
2006-03-15 裏ページに転載。

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